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27.坩堝(るつぼ)


 溶かした金属を鋳型などに流し込む際に使う深めの器。高熱に耐えることが必要なため、 厚手
  
で素地に作られている。古代の坩堝は珍しくないが、このように完全な形で見つかる ことは稀で、
  
さらに、溶解した金属が付着しているものは少なく、極めて優れもの。 金属成分は、非破壊で分
  
析をすると種類や含有量までわかる。 蛇足だが、「興奮の坩堝と化した。」などという表現は、中
  
が大変熱くなっていることか ら使われている。
  
 ところで、この坩堝が見つかったのは古代の寺院跡、ここからは以前に興味深い 木簡 が見つ
  
かっている。 木簡に書かれているのは、「鑄所(いものどころ)解(げ)す、荒炭を請うを申すの事
  
合わせて十籠。□鐸の鋳料のため  景雲二年四月二十五日 物部入鹿」要約すると、鑄所という
  
鋳物の工房から資材を管理する 上部の機関に、□鐸を鋳造するために荒炭を十籠下さい、とい
  
うもの。 下には、西暦768年の日付と差出人の物部入鹿という人の名前が書かれている。 この
  
坩堝の発見と木簡に記載された内容は、古代寺院における工房施設の存在とその 位置関係を
  
示す貴重なものとなった。
  
出土:豊岡市日高町
  
   奈良時代
  
坩堝:口径13p、高さ7p
  
木簡:全長49.8p 
  
(撮影データ: 坩堝:2008年1月23日  Canon 1Ds MarkV 70-200o F4
    
   木簡:2008年2月15日 24-70o F2.8 Mr.ヱビス)

  

26.坏身と坏蓋(つきみと、つきぶた)


 須恵器の坏(坏身と坏蓋のセット)、蓋付の浅めの鉢というイメージであろうか。 当時は、今でい
  
う茶碗のような身近な食器であった。 今も昔も、このような食器の類は壊れやすいので、量産され
  
る。そのおかげで、 時代の変化や、技術の向上、逆に生産量を上げるための技法の省略などが
  
みられ、 それが微妙に土器から読み取れる。
  
 一見、何の変哲もない地味な坏身と坏蓋であるが、時代だけではなく、 生産地まで特定できる。
  
但馬では、まだ須恵器の生産が行われていない5世紀中頃 から後半にかけて、大阪西南部にあ
  
る「陶邑(すえむら)」とよばれるところで 生産されたものである。 どうも、いかん。変人・奇人の宴
  
会以来、説明が....
  
今回は、ちょっとK社のColor Control Patchesを入れた画像も入れておいた。 今回は、色調補正
  
はしなくてよかった。スッキリ!
  
出土:日高町(5世紀)
  
坏身の最大径: 14p
  
(撮影データ: 2008年1月24日  EOS 1D EF 70−200o L IS USM  Mr.ヱビス)