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5.耳皿(みみざら)
この土器の説明は難しいですなー。
時代からいうと平安時代で9世紀後半です。
当時、一般的に使用された土器は、土師器、須恵器という素焼き
の土器ですが、中国製の白磁、青磁、三彩といった陶磁器が輸入さ
れ、日本で似たようなものを作ろうとします。
そのなかに、緑釉陶器(りょくゆうとうき)、灰釉陶器(かいゆうとうき)、
奈良三彩(唐で作成された三彩に対して)があります。
この土器は、緑釉系ですが、意識的に四辺に濃い緑の釉をかけて
あります。
個人的には二彩(三彩に対して)に入れたほうがいいと思うのですが、
業界では「緑釉緑彩」(りょくゆうりょくさい)とよばれています。
形は変わっていて、耳皿とよんでいます。よく何に使われたかと聞かれ
ますが、わかりません。
当時ではこれより高級な食器といえば輸入陶磁
器しかないので、箸置きには使ってないと思うのですが。
耳皿自体は特別珍しいものではないのですが、これはとびっきりの逸
品です。
出土:日高町
(撮影データ:2004/10/17 EOS−D EF24−70mm F2.8 Mr.エビス)
4.はそう(はぞう)
名称:須恵器のはそう(はぞう)
「はそう」は瓦と泉を組み合わせた字なのですが、パソコンがよう変換せえへんので…
出土:日高町 小山1号墳から見つかったもので、5世紀中頃から後半にかけてのものです。
須恵器とは、5世紀の中頃に朝鮮半島から日本に伝わった焼き物です。従来の縄文土器
からの系譜を引く土器(弥生土器や土師器)は800℃前後の温度で焼かれていますが、須
恵器は1000℃を超える高温で焼かれています。また、土器を焼くのに、山の斜面を利用し
た窯をつくり、耐火度の高い粘土を使っています。
この土器は、日本に伝わってから少し経過した頃に焼かれたもので、但馬地方ではかなり古
いタイプの須恵器です。恐らく、日常雑器ではなくもっと大切にされていたものでしょう。
須恵器の生産が発達し、中世の六古窯に代表される陶器生産につながっていきました。
ところで、なぜ穴が開いているかって?短い竹の筒などさしてみてはいかがでしょう。何かに似
ていませんか。
ちなみに大きさは、最大径で約11cm、高さが約10cmです。
(撮影データ:2004/10/11 EOS−D EF24−70mm F2.8 Mr.エビス)
3.美含(みくみ)
「美含」(みくみ)と書いてあります。
美含は、現在の竹野町から香住町あたりにかけての旧郡名です。
この土器は、763年に切ったヒノキで造られた井戸から見つかったもので、文字は土器の底(外面)に 墨で書かれています。
(撮影データ:2004/7/18 EOS Kiss D 50oマクロ Mr.エビス)
2.緑釉陶器(りょくゆうとうき)
中国の青磁をまねて日本で作製した緑色の釉(うわぐすり) をかけた陶器。京都や愛知県などが主な産地。
この土器は、椀の底(写真:左)の部分で、外面に「下野」(しもつけ)の文字が箆状のもので刻まれて
います。
下野は、現在の栃木県を下野国(しもつけのくに)と読んでいましたが、国名なのか違う意味
なのかは不明です。
いずれにしても、土器を焼く前に意識的に文字を刻み、釉をかけている
ことがわかります。
緑釉陶器で焼成前にこのように文字を刻んだ例はなく、日本初です。
時代は9世紀のもので、猿投地方で焼かれたものでしょう。
土器の内面(写真:右)には、花文が刻まれ
ています。似たような模様は猿投周辺の窯跡から見つかっていますが、同じものはなく、いずれ
調査が進めば窯も特定できるようになるでしょう。
場所:日高町 (撮影データ:ハッセル503CX レンズ 80ミリ 接写レンズ使用 Mr.エビス)
1.今のところ日本で一番のイケメンでしょう!!。
9世紀(平安時代)の但馬国府の役人の顔を見てみます。
今のところ日本で一番のイケメンでしょう。
名称:人形(ひとがた)
用途:古代の呪いの道具。古代の役人が使用したもの。
自分の穢れや病気などを人形にうつし、川に流すことによって自分の身を清める。
材質:ヒノキ
場所:日高町 (撮影データ:コンタックスRTS 50o Mr.エビス)