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15.壺 A(双耳壺)

 今回紹介する壺は、胴部の肩のところにふたつの耳がついているもので、 双耳壺(そうじこ)と呼ばれる
 ものです。
  
 耳の形はいろいろありますが、 円孔があけられています。ちなみに、耳が4個あれば四耳壺(しじこ)と
  呼びます。
  
 割れて破片のないところは復元していますので、悪しからず。

 高さ30.7p

 出土:日高町
 平安時代(9世紀)

(撮影データ:カメラ Canon EOS 1D EF24-70mm F2.8 2006年2月12日 撮影  Mr.エビス)       

      

14.木簡 B

 この木簡は、表面に「頂龍麻呂解 米借請申事 合一斗 赤豆五斗」と書いてあります。 意味は、
 頂龍麻呂(いただきのたつまろ)という人が、上部機関に米を借りることを請 うもので、その量は
 合わせて一斗、赤豆(小豆のことでしょうか)五斗、という内容です。
  
 解(げ)というのは、個人とか下級の役所から上級の役所に差し出す文書のことで、 「申し上げ
 ます」というような意味です。
  
 裏面 には、上部 に「天平神護三年正月八日」という日付と、人名が書かれています。
  
 天平神護(てんぴょうじんご)三年は、西暦767年で、同年八月には元号が 神護景雲(じんごけ
 いうん)に改められます。
  
 このような文書(もんじょ)形式になったものを文書木簡といいます。
  
                      前回の木簡Aは、文字の練習をしたもので、習書(しゅうしょ)木簡といいます。

 全長 34.3p ヒノキ材

 出土:日高町

(撮影データ:カメラ Canon EOS 1D EF24-70mm 2006年2月7日 撮影  Mr.エビス)       

      

13.壺 @(長頸壺)

 須恵器の壺です。須恵器は5世紀に朝鮮半島から伝わった焼物で、古墳時代から古代にかけ て
 各地で土師器と共に生産され、やがて良質の土が採掘されるなど、生産に適した丹波焼や 備前
 焼などのような中世の焼物につながっていきます。
  
 須恵器は、焼物としての名称で、壺は用途であったり、形の違いで付けられた名称です。
  
 須恵器には、杯や椀、皿、高杯、壺や甕(壺と甕の違いは別の機会にできればと思います。) など
 あります。
  
 壺にもいろいろありまして、この壺は、首が長いことから長頸壺(ちょうけいこ)と呼んで いるもの
 です。
  
 「何を入れたか?」と聞かれることも多くあり、酒飲みはついつい「酒かな。」と思ってし まいがちで
                    すがわかりません。
  
 いろいろ見比べていただければ、何に適したかは想像してい ただけると思います。

 高さ21.5cm

 出土:日高町
 平安時代(9世紀)

(撮影データ:カメラ Canon EOS 1D EF24-70mm 2006年1月29日 撮影  Mr.エビス)       

      

12.木簡(もっかん)A

 この木簡は、但馬国のあった旧郡名を練習したものです。
  
 木簡に書かれている文字は 右列上から「郷部部朝来郡郡養父郡気多」となり、左は文字の大半
 が欠損していて文字 は読めません。
  
 しかし、奈良時代から平安時代にかけての但馬国には朝来郡、養父郡、 気多郡、城崎郡、美含
 郡、出石郡、七美郡、二方郡の八郡があったことがわかっている ことから、わずかに残る墨痕か
 ら上から「城崎郡美含郡出石郡七美郡」と練習したもの でしょう。
  
 二方郡がないのは、下端が折れているため見えないだけで、もともとはちゃん と書かれていたと
 思います。
  
 この木簡の見つかった溝の同じ層から、天平神護、神護景雲の元号を持つものが含まれて おり、
                     766年頃に書かれたものであることがわかります。
  
 しかし、この時代の人は字がうまい!

 ヒノキ材

 出土:日高町

(撮影データ:カメラ Canon EOS 1D EF24-70mm 2006年1月29日 撮影  Mr.エビス)       

      

11.木簡(もっかん)@

  古代においては、紙が貴重品だったことから、日常の簡便な文書は木の板に書きました。
 これを木簡といいます。
  
  1000年以上も前の紙の文書が土の中から見つかることはほとんど ありません(漆の保護
 作用で古代の紙が残ることはあります。)が、木簡は条件がよけれ ば残りますので、文字
 によって当時の様子を知ることができます。
  
   写真のものは、西暦763年に切ったヒノキ材で造った井戸の中から見つかったものです。
  
 厚手のヒノキの板(このあたりが但馬っぽい)に墨で
 「供料六斗 雑料七斗八升五合  合一石三斗八升五合」と書いた後、隙間に「飛」と「月」
 の字を練習したものです。
  

  
  お寺に「供え物として米(恐らく)を六斗、もろもろの用途として七斗八升五合の合わせて  一石三斗八升五合を収めます。」と
 いう内容です。
  
  木簡の特徴の一つに、不用になれば、小刀で削ってまた使える、という利点があります。  しかし、この木簡は削らずに隙間に
 文字の練習をしています。

 全長40.8p(下は折れています。)

 出土:日高町

(撮影データ:カメラ Canon EOS 1D EF24-70mm 2006年1月29日 撮影  Mr.エビス)